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【熊谷亜莉沙】KEITA MARUYAMA 30周年記念「ハレの日に」

熊谷亜莉沙は、2024年9月14日(土)から10月11日(金)まで開催されるKEITA MARUYAMA 30周年記念 連動企画「ハレの日に」に参加いたします。
本展覧会は、「晴れの日に着る服・心を満たす服」をコンセプトに繊細な手仕事や大胆な色使いによるデザインで、多くの人に装うことの喜びを与え続けているファッションデザイナー丸山敬太氏のブランド、 KEITA MARUYAMAの30周年を記念した企画展です。

KEITA MARUYAMA 30周年記念 連動企画「ハレの日に」*ご招待・ご予約制
会期:2024年9月14日(土)-10月11日(金)
会場:Art Salon SCÈNE
*パブリック・デー:木曜日
*本展覧会は招待・予約制となっておりますが、木曜日はご予約なしでご入場いただけます。

【杉本博司】Hayward Galleryにて展覧会のお知らせ

杉本博司の回顧展「Time Machine」が、10月11日(水)から2024年1月7日(日)の会期にて、イギリス・ロンドンのHayward Galleryにて始まりました。本展覧会は写真作品を中心に構成され、初期三部作の「Diorama」「Theaters」「Seascapes」から「Opticks」までのシリーズを一挙公開。現代美術作家としてのこれまでの歩みが一望できる展覧会となっております。
Hayward Galleryの館長で本展覧会キュレーターのラルフ・ルゴフ氏が、杉本のこれまでの制作と功績について話している様子が下記動画よりご覧いただけます。

「Hiroshi Sugimoto: Time Machine」
2023年10月11日(水)­- 2024年1月7日(日)
Hayward Gallery

【杉本博司】展覧会のお知らせ

渋谷区立松濤美術館にて、個展「杉本博司 本歌取り 東下り」が開催されました。
葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とした杉本の新作《富士山図屏風》が初公開され、ギャラリー小柳でも展示中の「Brush Impression」シリーズから《いろは歌(四十七文字)》が展示されております。現代の作品が古典作品と交錯し、写真だけでなく書、工芸、建築、芸能など、さまざまな要素が組み合わさる杉本の世界とその進化の過程をご覧いただけます。
ぜひご高覧いただければ幸いです。

「杉本博司 本歌取り 東下り」
2023年9月16日(土)­- 11月12日(日)
<前期>2023年9月16日(土)-10月15日(日)
<後期>2023年10月17日(火)-11月12日(日)
渋谷区立松濤美術館

【杉本博司】最大規模の新作数理模型、サンフランシスコにてパブリックアートとして設置

この度、杉本博司が手がけてきた数理模型シリーズの中で、最大級の大きさを誇る《ポイント・オブ・インフィニティ》が、アメリカのサンフランシスコ・イェルバ・ブエナ島の丘上に設置されました。高さ21メートルにもおよぶ本作は、トレジャー・アイランド・アーツ・プログラム第一作目の常設彫刻作品として、495名のアーティストの中から選ばれ、杉本にとってアメリカ国内に設置される初めての大規模なパブリックアートとなりました。本作が設置された公園は、本年秋に一般オープンが予定されております。

詳細は、ウェブ版「美術手帖」にも掲載されております。ぜひご覧くださいませ。
美術手帖

【マーク・マンダース】特別展示のお知らせ

6月22日まで東京都現代美術館で開催していた個展「マーク・マンダース­ ― マーク・マンダースの不在」がコロナ禍により開催期間短縮となったことを受け、特別展示「保管と展示」が東京都現代美術館で実現することとなりました。
「マーク・マンダースの不在」展からインスタレーションがどのように変幻するのか、必見です! ぜひご高覧いただければ幸いです。

「特別展示:マーク・マンダース 保管と展示」
2021年7月17日(土)­- 10月17日(日)
東京都現代美術館

【マーク・マンダース】展示再開のお知らせ

新型コロナウイルス感染拡大防止のため臨時休館しておりました東京都現代美術館での「マーク・マンダース ーマーク・マンダースの不在」展が、6月1日(火)よりついに再開となります。再開にあたり、展覧会の会期は6月22日(火)まで延長され、会期中、休館日も臨時開館となります。どなた様も事前予約が必須となります。当日券の販売はございませんので、ご注意くださいませ。

【マーク・マンダース】

東京都現代美術館にてマーク・マンダースの個展が、3月20日から6月20日の会期で
開催されます。国内美術館では初の個展となります。
ご高覧いただければ幸いです。

【ソフィ・カル】展示延期のお知らせ|三菱一号館美術館「1894 Visions」展

ソフィ・カルは、三菱一号館美術館が「1894 Visions ルドン、ロートレックとソフィ・カル展」と題した展覧会に参加を予定しておりましたが、新型コロナウィルスの感染拡大によりアーティストの来日が困難となったことから、今回のプロジェクトは2024年まで延期となりました。
これに伴い、アーティストからの「言いわけ」が現在三菱一号館美術館にて開催されている「1894 Visions ルドン、ロートレック展」にて展示されております。
ご高覧いただければ幸いです。

三菱一号館美術
「1894 Visions」展でのソフィ・カル展示延期と作家からのメッセージ

【束芋】オンライン展覧会参加のお知らせ

この危機的状況下において、海外のキュレーターが立ち上げたオンライン展覧会に束芋が参加しています。コロナ禍のアートについて書き下ろしたステイトメントと映像作品4点のフルバージョンが、6月15日までの期間限定で公開されています。

【杉本博司】「頃難に思う」(読売新聞4月15日掲載)

 この光景は以前どこかで見たように思う、街から人影が消え、人々が疫病の恐怖に慄き、不気味に静まり返っている。そうだその記憶は私の記憶ではなく人類の記憶だ。あのヨーロッパの人口の1/3ほどが失われたとされるペストの大流行だ。パンデミックという言葉もその時生まれた。その爆発的な流行は14世紀からはじまり断続的に17世紀まで続いた。私はその記憶の断片を写真に撮ったことがある。かつてロンドンの蝋人形館マダム・タッソーには「恐怖の部屋」と呼ばれる部屋があった。その中にプラーグと題されたペスト流行中のロンドンが再現されていたのだ。私はヘンリー8世やエリザベス女王を撮影する傍ら、この恐怖の館の撮影に挑んだのだが、この展示は今はない。ポリティカルコレクトネスが叫ばれてから撤去されてしまったのだ。しかしその記憶が600年後もこうして生々しく伝えられたこと、私はそのインパクトの強さに慄いたのだ。

 今その写真を見返してみると医者が防護マスクを着けて死者達に香の煙を振りまいている。治療法などなかった時代、死者への魂の救済の儀式さえ覚束なかったのだ。屍体は大八車に山積みにされ、その車を引く俥夫も感染しているらしく息も絶え絶えだ。興味深いのはこの医者の着ける防護マスクは顔全面を特殊なメガネと籐製の覆いで作られていて、その形状は今の医療用マスクとそっくりなのだ。

 しかし世の中は悪いことばかりでは無い、1666年ロンドンのケンブリッジ大学は封鎖され、学位を取ったばかりのアイザック・ニュートンは疫病感染を避けてイギリス東部の故郷、ウールスソープで1年半を過ごしたのだ。この間にニュートンは生涯に成し遂げた重要な研究成果の着想のほとんどを得た。万有引力の発見、微分積分法、光学理論の研究、あの有名なリンゴが木から落ちるのを見たのもこの場所だ。ニュートンは自宅二階にプリズムを置き、暗くした部屋に太陽光を導き入れて、白光と思われていた太陽光が7色に分光できることを発見したのだ。この硝子を使った光の研究は後の19世紀の写真の発明へと連なっていく。私は今を生きる写真家として、この初期の実験を再体験してみたいと思い、2004年の冬、自宅に硝子のプリズムを磨き設置した。私は冬の澄み渡った大気に昇る陽光から分光される目眩く輝く色の帯の中にいて、恍惚感に溺れながらカメラを手にその光の色の中に入っていった。私は形を写すのではなく色そのものを撮りたかったのだ。単純なものほど難しいことを私は思い知らされた。15年に渡る研究の結果ようやく満足のいけるプリントが完成した。この作品は写真というよりも絵画に近い、マーク・ロスコが絵の具で表現しようとしたことを、私は光そのもので表現したいと願った。絵の具は物質だ、私は絵の具という物質を介さないで、光の色そのものを定着したいと夢想したのだ。今年、世界への初公開は、京都市京セラ美術館のリニューアルオープン、「杉本博司 瑠璃の浄土」展で発表される予定だった。しかし今美術館は封鎖され、美しく仕上がった展示は誰の目にも触れることなく静かに佇んでいる。カタログだけは刷り上がって買うことができるのがせめてもの慰めなのだが、私はニュートンの疫病時代の因縁といったものさえ感じるのだ。

 私はアーティストとして、文明の行く末をテーマに多くの展覧会を催してきた。そして今年の「瑠璃の浄土」展で私は日本人の死生観、日本人がどのように死後の世界を観想してきたのかを、アーティストとして反芻してみた。いわば仮想の御寺を今の世に荘厳してみたのだ。しかしその門は閉ざされ、死後の世界はより現実味をおびて世界を席巻しているという皮肉に私は言葉を失う。

 中世のペスト流行、人々は神が人を罰しているのだと思った。しかし今、神は人を罰するほどの力を失ってしまった。私は自然の摂理が人を罰しているのではないかと思うのだ。文明とは環境破壊を食い物にして成長する。今、成長の臨界に達した一生命種としての人類は、全滅を避けるための自動調節機能が働いて、活動の自粛を求められているのだ。全世界が自粛する中、ベニスの運河には透き通った水が戻り、京都やフィレンツエには昔日の面影が戻ってきた。これからの世界の行く末、私は成長しないことこそが成長であるという文明の転回点に今我々はいるのだと思う。1962年に文明の行く末に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンによる名著「沈黙の春」。農薬や化学物質の汚染によって近い将来、春に鳥が鳴くことがなくなるという恐ろしい予言だ。今年の春、幸いにも鳥はまだ鳴いている、しかし世界は沈黙の中に静まり返っている。

出典:読売新聞 2020年4月15日朝刊